東京都港区三田4丁目1番27号FBR三田ビル8F
千葉県浦安市舞浜1-13

福岡・北九州エリア運行情報(12時00分現在)

福岡・北九州エリア運行情報(11時34分現在)

実施月:2021年6月実施
方法:定量WEBアンケート
回答者:車を業務利用する事業者(n=27,275⇒有効回答1,167:181万事業所に拡大推計)

Full Width Address: 〒111-0032 東京都台東区浅草2丁目3−1
Half Width Address: 〒111-0032 東京都台東区浅草2丁目3−1
東京都渋谷区道玄坂2丁目1
東京都渋谷区道玄坂2丁目2
Lorem 東京都台東区浅草2丁目3 ipsum
"彩橋むげぶ"

東京都港区三田4丁目1番27号FBR三田ビル8F

<愛知>日本ガイシホール

<1彩橋むげぶ>

浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区浅草二丁目にある都内最古の寺で、正式には金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)と号する。聖観世音菩薩を本尊とすることから、浅草観音(あさくさかんのん)として知られている。山号は金龍山。

元は天台宗に属していたが、昭和25年(1950年)に独立して聖観音宗の本山となった[1]。都内では、坂東三十三箇所観音霊場唯一の札所(13番)、また江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に収まっている[2]。

飛鳥時代の推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも [3]、「土師真中知」(はじのまなかち)[4]とも)は出家し、自宅を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。その後大化元年(645年)、勝海という僧が寺を整備し観音の夢告により本尊を秘仏と定めた。観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像と伝わるが、公開されることのない秘仏のためその実体は明らかでない。平安時代初期の天安元年(857年。天長5年(828年)とも)、延暦寺の僧・円仁(慈覚大師)が来寺して「お前立ち」(秘仏の代わりに人々が拝むための像)の観音像を造ったという。これらを機に浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開山と称している。天慶5年(942年)、安房守平公雅が武蔵守に任ぜられた際に七堂伽藍を整備したとの伝えがあり、雷門、仁王門(現・宝蔵門)などはこの時の創建といわれる。